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『目に見えない大切なものを形にしたい』エアロコンセプトの世界

30記事めの記念はやはり尊敬しているエアロコンセプトの菅野さんのことを

書きたいと思います。

 

菅野さんは東京麻布生まれ

祖父の代から続く菅野製作所の3代目社長に就任。

その後2年後に倒産。再起を果たし、新たにエアロコンセプトという独自のブランドを開始。

現在は世界のVIPを虜にするほどのブランドとして各界から注目を浴びています。

 

私も含めてなぜこんなに熱烈なファンになるのか?

菅野さんは日本経済が急速に経済成長する時代に菅野製作所の工場で育ったので

いつも工場が遊び場で板金の技術などを見よう見まねで覚えたので

工作の授業は先生よりも優秀だったそうです。

 

少年時代の菅野さんは将来絵描きになりたいとおもっていたそうで

毎日創造するのが好きで遠近法も自分なりに研究していたそうです。

その後創元展で史上最年少で入賞を果たすまでに至ってます。

いきなりどん底に

その後菅野製作所は祖父から父そして菅野さんに代変わりをし、業績も順調に伸びていきました。

従業員も増え顧客も上場企業ばかりで順風万般と思えた中。。。。。

思わぬ落とし穴がありました。

 

バブルがはじけた頃売り上げの8割を占めていた大口得意先の社長が交代して

製造工場を中国生産に移転することを決めたのです。

新社長は効率や合理性を求めました。

それまでいわれるままに設備投資をしていた菅野製作所はその方針に耐えることはできず、

仕事がなくなり、資金がまわらなくなりました。

 

下請けは大企業と対等な関係に交渉する力はなく他社にはないオンリーワンの特殊技術をもっていないと

対等な関係にはなれない。

技術と温情

この窮地を救ってくれたのが他にはない特殊技術と父親でした。

得意先に残念ですが倒産せざるをえないとあいさつ回りすると

それは困るよ。仕事はいくらでもだすから仕事を続けてくれ。

以前あなたの父親には本当に世話になりました。その恩返しをさせてください。

と声をかけたそうです。

 

代替えのきかない独自性と時代が変わっても摩耗しない人と人の絆

山あり谷ありの人生において真に自分らしい生き方をするためには

自分の得意なところを磨き、それによって人から感謝されるような仕事をする

ことにつきるのではないか。

と感じたんだと思います。

 

人の思惑に左右されない

どんなに魂込めてつくったものでも結局は値段の競争になってしまう。

そんな状況を脱する方法はないのだろうか?

これから何を糧にいきていけばいいのか?

 

真剣に毎日自答した結果ふと頭に浮かんだのが

自分が欲しいモノを作ってみよう!!

でした。

自分がコンセプト、自分がマーケット

自然の美しさに感動して絵を書いた気持ちと同じように

自分の欲しいもの、魅力的なもの、をデザインコンセプトに

培った技術をベースにジェラルミンやアルミ合金を使い、

穴をあけて軽量化や強度を加え、板金職人ならではの技術を生かして

デザインのみならず完成度の高い商品を製作してきました。

 

今では宣伝広告を一切していないのに

口コミでオーダーから納品まで数か月まちの状態です。

時にはオーダーの依頼もすべて聞き入られるわけではなく、

あくまで菅野さんの感性、美意識に沿ったものでないとお断りしています。

 

とことん自分が欲しいモノをつくる意気込みでつくった製品だから

心に響いて黙っていても売れます。

 

商品の完成度や美しさもそうですが

菅野さんに実際お会いすると、人としての生き方や本物のやさしさやこだわりがあるけど

それを自慢しない大人の男のダンディズムがあって魅了されます。

 

もちろん追いつくことはできませんがいつも心の目標として

追っかけていきたいし、身近な人にエアロコンセプト伝えていきます。

 

 

 

 

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